お勉強diary

心理学関連の通信教育、学会、書籍等の感想を書いて行きます。

勉強記録 10/21

臨床心理学研究法特論



臨床心理学とは基礎心理学の応用ではない?


事例研究とは?ーエビデンスがない発表もおおいい

一般化することが重要なのでは?(針塚)

博士では必要


学会誌掲載論文とは?

専門誌がごった煮なのでは?事例研究は原著論文になりうるか?

学会誌によって考え方が違う、審査側もやり方がまちまち

原著論文、と筆者が定義しないものの審査は難しい

    →事例は常に固有だが、論文としてはなにを基準に汎化されたといえるか、常に不確定

    →量的な分析は学部卒論でもできるレベルのもが多く。研究としてはどうか


今後は?

学会がどんどんえていた。公認心理師はこれまでの臨床実施と変わらないとおもわれるが、国家資格化することでもっと細分化、専門家に拍車がかかるのではないか?


どのようにエビデンスを求めていくのかというのはまだまだごった煮なのだな、という理解をした。この先数年で変更していく


ーボルダーモデル

   1935年に博士号の取得と1年の実践を推奨したが、きょうせいりょくがなかったため、ひろまらなかった。戦後1949にボルダーに関係者が集まって標準化が図られた

研究能力を求めた上で一年以上の臨床を求めている


心理臨床家と臨床心理学者の違いとは?


二回 研究の成立と過程


量的研究法とは

仮説検証型


質的研究法とは

フィールドワークにアクセスする


事例研究法とは

実際の個人や家族を対象とした動態的、主観的な質的研究法。仮説検証では扱いづらいことを扱う

  事例報告、構造化された視点から詳細に記述、実践的研修的な意図をもって報告

  事例研究、構造化された視点から記述新しいアイディアを抽出


FINER!FIMNES


研究倫理の注意点

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エビデンスベースの議論の中、この定義はとても捕まえづらかった。心理学の分野は広がる一方であり、臨床との距離も分野によ理全く異なら上に広範囲であることは再認識。

当たり前だが自身の研究の選択をしながらは理解するのが早そうだ

「オープンダイアローグと中動態の世界」に行ってきました。

ODNJPシンポジウム:オープンダイアローグと中動態の世界」に行ってきました。

渋谷から歩いていくと、都会の中にぽっと現れる東大駒場キャンパスは、なんだかパワースポットのようです。
國分功一郎氏の講演を聞くのは2回目で、「中動態の世界 意志と責任の考古学」は一度細かく読書会したことがあったし、斎藤環さんのオープンダイアローグの本も読んでいたし、今年はべてる祭りにも行っていたのでいろんなものが繋がって、面白かったです。

心に残ったトピックは以下です。

 

リベラリズムの求める大人に全員なれたのか
斎藤環さんのプレゼンの中で支援現場で「オレンジジュースにしますか?りんごジュースにしますか?」という選択をさせるのはインフォームドコンセントのように見えて、その実選ばせてない、というお話をされていました。「意思のリベラリズム」という表現で國分功一郎さんがかなりの発見という感じで応答されてましたが、リベラリズムの求める大人、というものだけで社会は形成されなかったということを注視するべきだというのは大きく頷けるところでした。
限られた選択肢だけの中で「自由」を取っているように見せること自体に、無理が生じてきているということだと理解しました。

■課題を「外在化させる」手法
中動態の考え方の中で、一番、当事者研究やこのオープンダイアローグ、そして一般的にも受けてる部分がこれだと思います。行為を事象とみなす。(みなすというか、中動態の論の中ではそこで起こっていることにすぎない、という考え方。今回の斎藤環さんのプレゼンの中からいうと「「親が死んだらどうするの?」を「就労現象についての君の考えを聞かせてほしい」と言い換える。」ということ)
高木さんは関西でチームで訪問を続けることでACTを14、5年続けていて、地域の中で重度精神障害の方を支える試みをされていて普及させようとしたが全くできなかったとのこと。(ここでのACTは「Assertive Community Treatment=包括型地域生活支援プログラム」でAcceptance and commitment therapyではない)
その支援の中で、未来語りから現在を考えるという手法の実践のお話をされていて、それはゴールを決めてPDCAを回したり、ゴールに向かって振り返りを行うKPTのようだな、と思いました。当事者研究やオープンダイアローグの話を見聞きしていていつも思うのはビジネス現場の最新ツールとすごく相性が良さそうだな、ということですね。
ただし、人の人生そのものを扱う精神医療の現場の場合、「ゴール」ってどう設定するのだろう、との疑問も持ちました。
能動態/受動態と中動態の議論については、文法を論じることであり、つまり歴史を紐解くことであり、単純にワクワクする面白さがあるなあと聞き入ってました。

■オープンダイアローグが広まった場合臨床心理士精神科医どこまで必要か問題
会場からのコメントの中で医学生の方から「精神医学を学んでいても、今議論されているような複雑な社会に対応する勉強をしている気がしない。精神科の医者というのは必要なのかわからなくなる」というのが出ていて、斎藤環さんがオープンダイアローグの手法を公開することで医者はいらなくなるかもしれないとおっしゃっていてラジカルぅぅぅと思いました。
臨床心理士についても、ディスカッションで登壇された臨床心理士信田さよ子さんが保険診療外でカウンセリングをすることにお金をもらうこと自体が「お布施のよう」「常に自信がない」とおっしゃっていて、確かに個人事業として当事者と向き合うのは医療のように標準の正解があるわけではないということで、このように言い切られていたのが痛快でした。また「中動態の概念は自信をもらえる」「オープンダイアローグで責任を分散させる」ともおっしゃっていて、援助者の側をも助けるツールとなることは、長く続ける加療の現場で重要なファクターとなるのではないかと思いました。

■人の行動の責任はどこにあるのか?
これは一番大きな論点でありながら、当日答えが出なかったところのように思います。答えが出ないということが答えなのでしょうか?
高木さんが社会・人生を渦と捉え、どう巻き込まれるかは運。支援はそこにうまく巻き込まれるように援助すること、というようなことをおっしゃっていて、今のところそれが一番しっくりときましたが、同時にやるせなさも感じました。なんとなく「目の前のことを頑張る」という何かこう、仕事を断れない人というか、芯のない感じに見えるというか。そんなことはまた別の議論なのでしょうけど、「意志」の設定についてはまだまだ議論される論点だということなのですね。
(そもそも「意思と責任の考古学」なのですし)

 

 

心理学も、薬物を用いた精神医療も、勉強すればするほどに曖昧な何かの中に突っ込んでいくことを感じます。
べてるの家での実践や、ダルクでの支援を見聞きして思うのは、社会から疎外された存在を"救済"するためには、現在の状態を中動態的に捉えた上で支援組織(または家族などの共同体)につなげることが必要だし、それは常に頼れるものでなければならず、宗教ではないそう言ったものを存在させること自体が社会機能として重要なのではないか、ということです。どうなのでしょう。たくさんの当事者組織のピア活動が必要とされるのはこういうことではないか、と思いました。

 

「思いました。」って小学生の感想文のようですね。特に「意思」の議論についてはなかなかまとめるのは難しいお話でした。すべて放棄することが可能なのでしょうか?意思以外の何によって人は行動を起こすのでしょうか?私にはまだ疑問で、言語化できないことです。
ところで今回言及されていた「ハームリダクションのダークサイドに関する社会学的考察・序説」は「当事者研究と専門知」に掲載されているのですね。あの本全然来ないっす。発売前に予約しておくべきでした。

臨床心理学特論 第4回

基本的に教科書を通読して、ラジオを聴きながら気になったところをメモしているのですが、この手の情報は間違ったことをアップすること自体が害悪なのではないかと思い、少し省略して概要のみメモしていくことにします。

 

臨床心理学と精神医学1:統合失調症と気分の障害

(これは、学生の授業メモです。事実とは異なる場合があります。参考にしないでください)

精神疾患を持っている、持っていた、これから発病しそうな人が対象
  医師との協力や、紹介が必要
・全体を常に把握するのは難しい。ここでは糸口を提供する
 
■診断について
・「臨床心理学=共感的理解、精神医学=客観的な所感(内的共感を重視しない)」は間違い
→精神医学の場合は、身体的所感もかみされる

・20世紀半ばから、世界標準のスケールが設定された
  ・ICD International Classification of Dseases(ーWHO、主に世界の統計などで使われる)
  ・DSM Diagnostic and Statical Manual of Mental Disorders(ー米国、主に学術研究で使われている、批判もある)
  
・大きく分けて2種があるー心理療法薬物療法
 薬の効果は心理的効果に影響されるー心理療法の効果は薬物によって変化する

 

統合失調症と気分の障害について
・代表的な精神疾患であり、2つとも脳の機能の変調である

統合失調症
精神疾患の中でも大きい
 発病危険率0.7-0.8%と高く、世界的に変わらないとされている
 進行性
 日本の精神病の入院患者の約6割を占める
 課題:社会的入院
 初発は10代後半から30代前半
 幻覚や妄想が代表的な症状=陽性症状
  ー内面と外界の違いがわからなくなる「自我障害」
 無為・自閉陰=性症状
・進行
 前駆症状ー数週間の頭痛、不安、集中困難、神経症症状など→幻覚、妄想(本人に自覚がないものを「病識欠如」という)
・薬物
 1952年、フランス、クロルプロマジン
 初期に陽性症状を抑える
 統合失調症の再燃を予防する

・臨床心理学の役割
 急性期:一刻も早く医療につなげること
 その後:薬物の定期摂取の支援、不安などに向き合う
 統合失調症そのものだけではなく、人生への悩みに向き合う

統合失調症の下位分類
 →印刷教材覚える
 
ドーパミンでは陽性症状以外の説明が難しい

 

<気分の障害とうつ病
・近年うつの情報が増えているのはDSMにより、「症状」で分類されるようになったから
 ー複数の背景を加味するべき
 ー今回は脳の変化による典型的な病状について話す

クレペリン(1856-1926)
 ー長期的な症状の変化で分類した
  ・躁うつ病双極性障害
    ーもとに戻る、障害で見るとうつと躁がある
  ・うつ病統合失調症)ー理由もないのにひどく気分が落ち込む
    ー時とともに落ち込んでいく、落ち込みしかない
    →「落ち込み」よりも

<治療>
 教科書参照

臨床心理学特論 第3回

臨床心理学の近接領域

<医学>
中井久夫/神田橋・荒木/オープンダイアローグ
統合失調症:守られた環境の中で自主性を重んじる

<哲学>
鷲田清一臨床哲学

<芸術>
・ミヒャエルエンデ「モモ」
→マインドフルな考え方

<宗教>
対談:小西達也(仏教チャプレン)
チャプレンとは:「教会・寺院に属さずに施設や組織で働く聖職者(牧師、神父、司祭、僧侶など)」

Clinical Pastoral(CP,米国で養成課程あり)
スピリチュアルケア
「心理学はフロイトをはじめとして、超越の次元を科学に引き寄せてきたのでは?」
小川:「物質科学、それだけでは読み解けないものも扱う」
ルーム心理学?トランスパーソナル心理学がこの分野を扱っている  
無宗教という宗教
ジョンヒック、宗教多元主義:チャプレンは1つの宗教のドグマやビリーフに固執することは許されない

現在ある状態に理解を示す(覚、シンクロニシティ等)
自律性を確立するーー救済される

言及されていた論文:
「『一』→『多』」的人間観・世界観に基づいたスピリチュアルケア序論 : 井筒哲学に依拠して

臨床心理学特論第2回

臨床心理学の歴史と展開

<間違いやすい人名>
1880年ジェームスキャッテル
1949年レイモンドキャッテル

・ウィットマーは、綴り字障害の相談を受けて心理相談室を設けた
・アカデミック心理学→臨床心理学(米)、精神病理学(独)、フロイト精神分析学の前に臨床心理学という言葉を用いていた(墺)
英米でも"臨床"の心理学の歴史の捉え方は違う

<間違いやすい人名>
マイケルアイゼンク
ハンスアイゼンク(行動心理学)

・臨床心理査定、臨床心理面接の歴史について
ターマン=IQ検査

・ウェクスラー・ベルビュー知能検査法
認知心理学教育心理学の観点から、改定されている。第4版から知能指数の算出を控えるようになっている

DSM
"Mental Disorder"精神障害精神疾患に訳が変わっている

・古典的条件付け(レスポンデント条件付け)←→オペラント条件付け
            ex.パブロフの犬←→「スキナー」「強化子」
            
・日本に「臨床心理学」という言葉が出てきたのは戦後、米国からの心理学の輸入に伴う
            
メモ:
⇨要:人命、技法、学名などのリストを経緯でつなぎながら覚える
⇨事例研究の意義とは?
・「一事例から一般的な法則を見出す」ため、複雑な反応を細かく検討することができる?

・・・なかなか45分に収めるのは難しそうなトピックでした。

臨床心理学特論(’17) 01

授業メモ:

2018年から公認心理師ができるが、2016年の資料作成時点での臨床心理士について述べる。

医学と臨床心理学の違い
医学:
診断と治療

臨床心理学:
診断というより心の問題の見立て
・文学的、物語的認識が必要となる

心理療法とカウンセリングの違い
・歴史が違う
・欧米では習得ルートも違う
・カールロジャースが心理師のカウンセリングを説いた
・今後は心理カウンセリングは専門性が必要になる
・カウンセリングではアセスメント→傾聴が必要
・「患者の世界を共感的に理解する」ロジャース

臨床心理学は物理学をモデルにしている
・感情や欲求などは物質的に計測することができない
・近年は数値化に抵抗がない人が多い
・投影法の心理療法では、全体的傾向を勘案すると人によって判定結果異なる事になる
・現在心理療法、その後の治療の参考(基礎)とすることが多い
・「テストバッテリー」が普通になっているが、もともと各分野に特化したテストの組み合わせであり、その特性を理解し組み合わせて行かなければならない。
→問題を把握し、解決を導くのに必要な情報を引き出すテストでなければならない
→患者の”インフォームドコンセント”にも必要

臨床心理学の位置付け
・狭義の物理科学とは異なる
戸川幸夫「臨床心理学論考」応用心理学ではなく、独立した理論
基礎心理学とは本質的に異なる
・臨床心理学での課題を基礎心理学をもって解いて、臨床心理学へ戻す、協働アプローチが必要
→ドグマ化しないことが重要

エビデンスベースドアプローチの賛否
エビデンスベースドは、患者・行政には良いかもしれないが、アプローチが必ず効く訳ではない
・多くの治療理論は事例の積み上げで出来上がっており、
・4次元のアセスメント
 患者のアセスメント,発達的課題を見る,ケースフォーミュレーション,問題因子の特定
 →どの次元から介入するのが良いのか患者と話し合う
 問題の外在化
 関心相関性
  西條剛央が提唱

(紙資料に条件)

・心理職は新しい仕事。職能団体などを通じて、臨床心理士の研修制度、更新制が世間に対して普及を促してきた
・一人前になるには10年以上の研鑽が必要だと感じる

倉光先生と加藤先生ではニュアンスが微妙に異なるが、異なる学派を否定せず、共通点を見つけてまずは自分に合う学派を中心に学び、広げて行くのが良いのではないか。